【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第9話 (2/6ページ)
歌川広重「名所江戸百景 両国花火」ボストン美術館蔵
「身勝手な野郎だな、花火てえ奴あ」
長屋に引きこもりの国芳は顔を上げ、四角い天窓からすこんと見える花火を見て言った。
誰も答えない。
同居人の佐吉は仲の良い狂歌連中と勇んで両国橋へ繰り出して行った。
国芳は一人、魚油臭い角行燈の下にうずくまって盛んに模写をしている。最近ようやく手に入れた医学書「西説医範提綱(せいせついはんていこう)」のうち亜欧堂田善の銅板解剖図の頁を広げ、人の身体の骨組みから学び直しているのである。小銭稼ぎの凧に描いた水滸伝の豪傑の絵や、過去に出した錦絵の源平の英雄の絵にいまいち迫力がなく動きが硬いのは、人間の肉体を理解しきっていないためだと国芳は己の絵を分析していた。線画だけであっと言わせる画力が、国芳には必要であった。
(そうでなけりゃアあの女を笑顔にする事アできねえ)
頭に浮かんだのは惚れた女の泣き顔である。
女が最後に国芳に見せた表情は泣き顔だった。
悲しみと怒りに咽(むせ)ぶ歪んだ表情が頭に焼き付いて少しも離れない。
「アアもう、ドンドンうるせえなあ」
天窓の外は花火の大盤振る舞いで大変な騒ぎである。