【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第9話 (5/6ページ)
佐吉は周りの狂歌師たちには「龍」とか「龍之介」と呼ばれていた。
「なぜ、『龍』と言いんす」
みつが訊くと、白髪交じりのなよなよしい狂歌師が笑って説明した。
「ああ、そいつアね、水滸伝(すいこでん)の九紋龍史進(くもんりゅうししん)がデエ好きだから、龍之介」
「えっ」
みつはつい、身を乗り出した。花魁が素っ頓狂な声を上げたので、狂歌師たちは随分驚いた表情をした。
「あちきも、史進がいっち好きでありいす」
「そうかい、花魁」
佐吉は白い歯を覗かせ、嬉しそうに微笑んだ。
話し始めると、二人はすっかり意気投合して語り合った。次々に男たちが相娼と連れ立って褥に移動するのを尻目に、朝どこかで目を覚ました犬の鳴き声が聞こえてくるまで一睡もせずに水滸伝の話ばかりした。その間佐吉はみつに指一本触れず、手も握らない。涼やかな笑顔で終始語ったのが、みつの心に深く残った。
「こんなに水滸伝の事を話したのは初めて」
「俺もだ」
帰り際、また来るよ、と佐吉は手をひらりとさせて、清風の吹き抜けるように去っていった。