織田信長はいい人? 歴史再発見「日本の偉人」仰天真実 (5/6ページ)

日刊大衆

そんな彼が、塩不足で困っている=塩の値段が上がっている隣国を見過ごすはずはないですよね」(新潟県の郷土史家)

 謙信は、領内の商人に「どんどん塩を売れ」と、甲斐との取引を奨励。自分たちも儲かれば敵方にも感謝され、さらに義将として名も上がるという“一石三鳥”を手にしたのだ。

 そんな謙信と関東の覇権を巡って激しく争った北条家の祖・北条早雲は、一介の素浪人から身を起こして一国を手に入れた、戦国時代の幕開けを象徴する人物として語り継がれてきた。「しかし、今はこの説は否定されています。早雲の本名は、伊勢盛時。父親は室町幕府の第8代将軍・足利義政と面会者を取り次ぐ“申次衆”という重要な役職についていました。早雲自身も9代将軍の申次衆になっており、相当な身分だったんです」(幡ヶ谷氏)

 やがて、応仁の乱の際に上洛した今川家の当主・今川義忠が姉と結婚。のち、その縁で駿河へと向かう。

「その後、足利家の内紛に乗じて伊豆一国に勢力を持ち、それを足がかりに関東を制覇していったのは事実ですが、これも早雲の独力というよりは、中央政界や今川家と連携を取りながらのもの。さすがに、ただの素浪人では、この動きは取れなかったでしょう」(前同)

 低い身分から成り上がったといえば秀吉と早雲というイメージも強いが、現実は甘くないということか。

■初代内閣総理大臣・伊藤博文は「ほうき」の異名

 しかし、明治の元勲にも、そういう人物はいた。いわずと知れた初代内閣総理大臣・伊藤博文だ。

 長州の貧農の子として生まれた伊藤は、父が下級足軽の家に養子に入り、武士として運が開いた。吉田松陰の弟子となって頭角を現し、やがてイギリス留学などを経て維新の志士に。西郷や大久保利通亡き後の明治政府を支え、帝国議会や大日本帝国憲法などの創設に貢献した。

「その偉業を示すのは“初代”の肩書きの多さ。初代兵庫県令(知事)、日本初の政党・立憲政友会の初代総裁、初代内閣総理大臣、初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監……。

「織田信長はいい人? 歴史再発見「日本の偉人」仰天真実」のページです。デイリーニュースオンラインは、西郷隆盛鈴木亮平徳川家康豊臣秀吉長谷川博己カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る