織田信長はいい人? 歴史再発見「日本の偉人」仰天真実 (2/6ページ)

日刊大衆

このときは、むしろ家臣の明智光秀のほうがイケイケだったようです」(前同)

 比叡山焼き討ち後、その所領の多くは“実行犯”光秀のものとなったが、光秀は延暦寺に残された領地まで横領し、信長に「返してあげなさい」と命じられたりもしている。「クレイジーな主君についていけず、本能寺で反旗を翻した“良識の人”として描かれることも多い光秀ですが、実はかなりしたたかでクセのある人物だったようです。2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』は、こうした最新の研究を反映しているらしく、楽しみですね」(歴史専門誌記者)

■徳川家康、実は派手好き

 さて、その信長や、後を継いだ豊臣秀吉の築いた天下を完成させたのが、徳川家康。ド派手な2人に比べると、家康は質実剛健で地味な印象があるだろう。「しかし、それは天下を取るまでのこと。ガマンを重ねて天下人となった家康は、信長の安土城、そして秀吉の大坂城をはるかに凌ぐ城を築いたんです」(前同)

 それは、家康が幼少期を過ごした駿河(現在の静岡県)に築いた駿府城だ。「征夷大将軍の座を2代秀忠に譲り“大御所”としてこの城に入った家康は、掘割を整備し、駿河湾から船で城郭内に入れるように大工事を敢行。天守閣の土台である天守台は、西辺約68メートル、北辺約61メートルで、江戸城の天守台(西辺約45メートル、北辺約41メートル)を大幅に上回る巨城だったことが、県の発掘調査で判明しました。天守閣は建造後に火事で焼失しましたが、残っていたら現在の静岡県庁の21階と同じ高さといわれています。

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