織田信長はいい人? 歴史再発見「日本の偉人」仰天真実 (4/6ページ)

日刊大衆

テロ行為の数々を見かねた幕府側は犯人の引き渡しを求めたが、薩摩藩は拒否する。1868年1月18日、ついに幕府側諸藩は薩摩藩邸を焼き討ち。大規模な戦闘となり、薩摩藩士や浪士が64人、旧幕府側では上山藩が9人、庄内藩が2人の死者を出す惨事となった。「しかし、これは西郷の策でした。挑発に乗った幕府側に先に手を出させ、武力倒幕の口実ができたことで、戊辰戦争へと日本を引きずり込んだんです」(前同)

 戦争の結果は周知の通りだが、戦後の会津などへの処置は苛烈を極めたのに対し、思惑通りに戦争の火蓋を切ってくれた庄内藩に対しては、西郷はやけに寛大に接し、ほぼ無罪放免。「そのため、庄内では仇敵のはずの西郷が、やたら敬愛されるようになり、西郷の言葉を記した『西郷南州翁遺訓』が庄内藩士によってまとめられ、『南州神社』という西郷を祀った神社が建ったほど。洗脳かと思うほど敵をコロッと味方にしてしまうあたり、単なる人格者ではない底知れなさというか、恐ろしさを感じますね」(歴史専門誌記者)

■戦国武将の上杉謙信は270億円もの黄金を…

 単なる人格者ではないのは、戦国時代随一の戦上手にして“義将”として知られる越後(現在の新潟県)の上杉謙信も同じ。その人格を表す有名なエピソードに「敵に塩を送る」というものがある。

 あるとき、信濃(現在の長野県)北部の領土を巡ってたびたび争った宿敵の武田信玄が、同盟国だった駿河の今川家、関東の北条家と敵対関係となり、両国からの塩の輸入が止まった。信玄の領地・甲斐(現在の山梨県)には海がなく、塩が採れない。民はさぞかし困っているだろう――と思った謙信が、武田領に塩を送ったという美談だ。

「ですが、当然、そう単純な話ではありません。謙信は武勇に優れる一方、非常に商才もあった人物。直江津や酒田など領内の貿易港で関税を徴収したり、衣類の材料になる海藻や、上質な麻糸で作った越後上布という布を海路で京の都に輸出して大儲け。死ぬまでに2万7000両(約270億円)以上の黄金を貯め込んでいます。

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