跡形遺さない災害による死。そのような死を形に留めておく慰霊碑という存在 (3/5ページ)

心に残る家族葬

そのため、垣根や笹薮に生えるトコロ(野老)という野草の根を干して細かくしたものを食べ、それが掘り尽くされてしまうほどだったという。また、返済の必要がある、いくばくかの「飢人手当」が村役人から村人たちに貸し付けられた証文も残っている。

■東日本大震災ではどのような弔いがなされたか

多くの人々が犠牲となった巨大な自然災害といえば、2011(平成23)年3月11日午後2時46分に起こった、東日本大震災が思い起こされる。短期間での大量死が生じてしまった震災直後は、残された遺族のみならず、地域社会においても、火葬場の稼働能力を超えていたことから、通常時の死者への対応と同レベルの葬送儀礼は到底叶わなかった。例えば宮城県においては、家ごとの墓域に埋葬するのではなく、一次的に私有地・町有地などに集団仮埋葬を余儀なくされた。しかし、早いところでは6月初旬、最も遅くとも11月19日までには全ての遺骨が掘り出され、改めて荼毘に付されたという。その後、大体1年ぐらいを経て、人々の気持ちや周囲の状況が落ち着いてくると、亡くなった人の霊魂の救済のため、葬儀や新盆などの個人レベルでの儀礼、そして集団レベルでの追悼儀礼が行われるようになった。更に石碑などを建立し、震災で亡くなった人々の「死」を形にとどめて悼むことが、始められるようになったという。

■東日本大震災の被災者は慰霊碑を建てたいと話した

宗教民俗学者の鈴木岩弓が被災地のひとりであるおばあさんから以下のように聞き取ったという。

「ここでは皆が身近な人をなくしているので、これまで誰も泣くことすらしないできた。でも、震災から2年半が過ぎ、この頃やっと泣けるようになってきた。そうした時、津波で流されて何も残っていないので、死者との間をつなぐ何かが欲しいと思うようになってきた。自分はそれが慰霊碑だと思う。だから何とか頑張って、この地に慰霊碑を作りたい。

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