長嶋茂雄、王貞治、野村克也…プロ野球レジェンドたちの「師弟の絆」感動秘話 (4/6ページ)

日刊大衆

原辰徳、クロマティとクリーンナップを背負う、巨人の主軸へと成長していった。しかし88年、当時25歳の吉村を悲劇が襲う。「札幌円山球場での試合中、外野フライを捕球する際、吉村は他の外野手と激しく激突。左ヒザ靱帯を3本切るという、選手生命も危ぶまれる大ケガを負いました。懸命のリハビリで89年終盤に復帰したものの、以前のような活躍は引退まで蘇りませんでした」(同)

 くしくも吉村がケガをした88年、“4番道”を伝授できないまま、王監督は辞任している。

■古田敦也は「野村ID野球」の申し子

 現役時代、ONとしのぎを削ったレジェンド、野村克也(83)も、多くの愛弟子を残した名指導者だ。特にヤクルト監督時代は、90年から在籍9年で日本一を3度達成。黄金時代を築き上げた。その立役者となったのは、捕手の古田敦也(53)。野村監督就任と同時に入団した、まさに「野村ID野球」の申し子だった。「野村監督は、まずスカウトに“優勝するには、いいキャッチャーが欲しい”と注文を出した。そこでリストアップされたのが古田でした」(スポーツ紙記者)

 ただ、当時の古田は実力を評価されながらも、メガネをかけているという理由で、どの球団も獲得に二の足を踏んでいた。「野村監督は“メガネなんて、どうにでもなる、絶対取れ”と指名を決定。ドラフト2位で単独指名でした」(前同)

 古田がヤクルトに入団すると、野村は“ID野球”を徹底的に叩き込んだ。「野村さんは“ブルペンなんか行かんでもいい、ベンチに座って勉強してろ!”と、試合中に古田を自分の前に座らせ、配球理論をずっと聞かせ続けました。

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