力道山、長嶋茂雄、石原裕次郎「酒と女と友情」昭和の3大スター“兄弟分”秘話 (2/6ページ)
主人に聞くと“パフォーマンスを見せたんだ”と笑っていました〉
裕次郎の無二の親友で昭和の大スター・勝新太郎も、力道山と酒を飲んでは一緒に踊る仲で、力道山の気前の良さを語っている。「リキさんは“飲め、飲め”って、自分が飲んでいるナポレオンの酒を、俺から店中のホステス、お客まで呼んで、いつもみんなに全部飲ませちゃうんだよな」
力道山が地方巡業でキャバレーなどに行くと、大騒ぎになることも多かった。そこで、旅館に夜の蝶を呼んだという。「弟子たちにキャバレーから夜の蝶を1人連れてこいと命令すると、力道山の好みの丸顔のぽっちゃりタイプを連れてくるわけです。それで、一杯だけお酌してもらって、女性をさっと帰して、おしまい。これが粋な遊び方だそうです」(当時のプロレス関係者)
テレビ初のプロレス実況中継は、1954年2月19日の東京・蔵前国技館での力道山・木村政彦VS シャープ兄弟のタッグマッチ戦。会場は超満員で、街頭テレビは黒山の人だかり。テレビ受信機の普及で、茶の間のファンが急増した。
■ミスター・ジャイアンツがプロレスのテレビ中継に大興奮
その1年後、立教大学野球部の智徳寮で、テレビのプロレス観戦に熱中する選手がいた。後の“ミスター・ジャイアンツ”こと長嶋茂雄だ。雑誌『テレビサライ』のインタビューで、当時の驚きと興奮を述懐している。〈もちろん白黒のテレビで。そのときは、力さん、そう、力道山の出ているプロレスでした。力さんの空手チョップもよかったけれど、世の中にすごい文明の利器が生まれたんだなと〉
プロレスとプロ野球と世界は違えど、力道山と長嶋の両雄はテレビ中継がブームになることを早くも予感していた。奇しくも日本プロレスの試合も、長嶋が入団した巨人の試合も、日本テレビが中継することになった。