三井財閥の元最高指導者「団琢磨」の生涯とある一幅の掛軸とのエピソード (2/6ページ)

心に残る家族葬



勝立坑開削に苦心惨憺していた当時、折に触れ、団は生まれ故郷の福岡市に出て、いろいろなものを買って、楽しんでいた。ある時、「面白いものがある」と知らせを受けた団は、早速三池の山(「炭鉱」のことを山(ヤマ)と称する)から福岡に飛んで行った。すると、とても大きな、煤で真っ黒けの一幅の掛け軸を見せられた。聞くと、「これは不動尊の掛け軸」だという。数百年の時を経た時代物であるようだ。また、掛け軸の入った箱には、「興山寺什物(じゅうぶつ)」と書いてある。

■興山寺の不動尊の掛軸を買った団琢磨

掛け軸はわからないにしても、寺の名前が「山を興す」。自分は「ヤマ」で責任ある立場である。何かの因縁かもしれないと心が動いた団は、その掛け軸を買い取り、そこで、京都で修行して帰って来たばかりという経師屋(きょうじや。掛け軸などの表装を行う職人)に掛け軸の絵の洗浄を依頼した。

その際、経師屋は「この掛け軸はこれまで何度か持参されて、持ち主から、洗ってきれいになるか保証できるかと言われたが、その都度自分は、保証できないと断っていた」と答えた。それに対して団は「保証せよ」とは言わず、「修行のためにやってみなさい」と依頼した。1ヶ月の後、絵の半分ほどが洗浄された。そこには、不動尊が厳然とした様子で、右手に剣、左手に縄を持って立っている。団はそれを大いに喜び、残りを洗浄させた。

■不動尊の掛軸を手にした団琢磨の当時の思い

当時の団は、不動尊がどんな仏であるかをはっきりと知っていたわけではなかったらしい。しかしちょうどその当時、炭鉱内の水害、出火に頭を悩ませ、徹夜でその処理に当たっていた。その精神的・肉体的疲労ゆえに団は、水害が起こるたびに神経性胃酸過多症に悩まされ、団担当の医師は、「水害が起こった翌朝早くに、必ず呼ばれるから」と早寝してそれに対応していたほどだったという。これらの諸問題が解決しなかったら切腹する覚悟で臨んでいた団は、水火の中に忿怒の表情で立つ不動尊の掛け軸を手に入れた偶然に深く心を打たれ、この掛け軸を掛け、日々、不動尊の堅忍不抜の強い精神を学んだという。
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