武田信玄の「喧嘩両成敗」に異議アリ!武田四天王の内藤修理が訴えた「男道」の精神 (2/5ページ)
※天文十六年の当時は工藤源左衛門祐長(くどう げんざゑもん すけなが)という名前でしたが、読者の煩を避けるため「内藤修理(ないとう しゅり)」で統一します。
内藤修理かく語りき「男道(おとこどう)」とは内藤修理は言います。
「無益な喧嘩をなくすため、その理非を論ぜず両成敗という主旨そのものは解らんでもありません。平時ならともかく、戦の陣中で喧嘩なんかされた日にゃあ、いちいち取り調べなんかしちゃ居られませんやな。まぁ、味方の勝利よりも私情を優先するような馬鹿共には『武運が尽きた』とでも思って死んでもらいましょう」
【原文】「尤も喧嘩なき樣にとの義(ぎ)理非を不論(ろんぜず)両方御成敗に付ては相違有るまじく候(そうろう)……(後略)……」
※出典:『甲陽軍鑑』品第十六より、以下同じ。
「……言うまでもなく、身分や年齢に関係なく互いを尊重し合い、喧嘩しないよう心がけるのが大前提です。