武田信玄の「喧嘩両成敗」に異議アリ!武田四天王の内藤修理が訴えた「男道」の精神 (4/5ページ)

Japaaan

「なぜなら、法に縛られて『事なかれ主義』が蔓延すれば、侮辱されても泣き寝入りする(男道のきっかけを外す)ような腰抜けばかりが武田家中に残り、まともな武士は(成敗or追放されて)誰一人いなくなっちまうからです」

【原文】「其故(そのゆえ)は法をおもんじ奉り何事も無事にとばかりならば諸侍(しょざむらい)男道(おとこどう)のきつかけをはづしみな不足を堪忍仕る臆病者になり候はん叉男のきつかけをばはづすまじきとて男を立て候はゞ其身の疵になる儀をあらため候べし其改むるをばやかどがちなりとて法度をそむくに罷り成りさだめて御成敗か不然(しからず)は國をおはるるかにて候べし然らば則ちよき侍一人もな(無)うして信玄公の御鋒(みさき)は悉くよは(弱)かるべき義(ぎ)眼前(がんぜん)に候(そうろう)……(後略)……」

内藤修理が懸念するのは、いっときの感情でカッとなるような馬鹿者が処刑されることではなく、それよりも(両成敗は嫌だろうから)どうせ「手は出せまい」とタカをくくって相手を侮辱するような卑怯者が横行する事態でした。

結局、甲州法度之次第が書き換えられた訳ではありませんが、その懸念については信玄公もよくご承知おきであったらしく、そのような卑怯者が幅を利かせるような事態は防がれたようです。

まとめ・暴力よりも恥ずべき振舞い

「どっちが先に手を出したか」

現代でも、そんな基準で是非を判断される方がいますが、武士の価値観にしてみれば「どちらが相手を侮辱し、手を出さしめたか」の方がよほど問題です。

相手をさんざん挑発した挙句、いざ殴られたら「自分は(善良な?)被害者だ」などと根拠のない正当性を主張するような卑怯者こそ、内藤修理をはじめとする心ある武士たちは何より軽蔑していました。

「武田信玄の「喧嘩両成敗」に異議アリ!武田四天王の内藤修理が訴えた「男道」の精神」のページです。デイリーニュースオンラインは、武田四天王内藤昌秀武田二十四将武士道戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る