田中角栄「名勝負物語」 第五番 小沢一郎(5) (2/3ページ)
あとで田中は言っていた。『アイツは、人のできないことを黙々とやる。大したもんだ。こういう奴が伸びるんだ』と、感心しきりだった」
こうしたうえで、小沢は三木(武夫)内閣で初めて科学技術政務次官に就任、「ロッキード選挙」で当選を果たしたあと、建設政務次官に就任することになる。このポスト、じつは田中の強い推輓によるものであった。
建設政務次官就任は、大きく2つの“意味”があった。建設省は田中角栄ならびに田中派が圧倒的影響力を持つ“牙城”であり、また課長クラスが小沢の父・佐重喜が建設大臣だった頃、まだ入省して間がない若手だったという経緯があった。つまり、建設省は小沢にとって“働きやすい”ポストであったとともに、田中の「親心」ということでもあったのである。
なるほど、こうした背景があったことにより、建設省役人は小沢の政務次官就任に“歓迎の意”を示した。課長クラスによる懇談会の場としての「小沢一郎を囲む会」なども、自然発生的にできたのだった。
★田中いわく「小沢はナタの魅力」
それでは、この頃の小沢の議員としての“実力度”はどんなものだったのか。筆者は、当時、田中派幹部だった竹下登から、こう聞いたことがある。
「最大の武器として、“デスク・ワーク”ができたことがある。ここで言うデスク・ワークとは、法案をつくる際の実務ということです。小沢は、若いが法系のドラフト(草案)を描ける。例えば、同世代の政治家でこれができるのは、小沢より当選2回上の“橋龍”(のちに首相の橋本龍太郎)くらいしか頭に浮かばない。小沢が学生時代、司法試験に邁進していたのは、その後、政治家として大変なプラスになっている。とにかく、小沢の頭の中には六法全書が焼き付いている感じがしたものだった。
一方で、ヘタに弁護士として法律のプロになると、ともすれば法の“抜け道”だの“拡大運用”といったところに目が向きがちになるものだが、小沢はそうしたところもなかった。プロにならなかったことにより、物事を論理的に法体系の中で見たり、法律の原理原則という段階にとどまって冷静な法律解釈ができた。