雛飾り、本来は左(向かって右)が男雛。現在は右に座する関東雛が優勢なのは何故? (4/5ページ)
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役者が様々な人形に扮している様子です 『見振十二思ひ月 三月 かみ雛 宦女 はだかにんぎょう 犬はり子』/弘化-嘉永頃/一勇齋國芳画
紙雛(かみびな/かみひいな)
紙雛は、その名の通り身体を紙で作ったものに衣装を着せた物で江戸初期に始まりました。
衣装は和紙か布地で作り、室町風俗を写したもの。男雛は烏帽子で袴に小袖、女雛は袖を前に重ねて細幅の帯姿の形でした。平面的な造りなので自立することは出来ず、雛壇や屏風に立てかけて飾りました。
寛永雛(かんえいびな)寛永(1624年から1645年)に誕生。立ち雛に代わり、座った姿の「座り雛」に変化しました。15センチほどの小さなお雛様で、頭と冠は一木造りで着物から手先はつけません。
お顔は平安時代の京風。段飾りは1段もしくは2段の低い台に屏風のみと、収納しやすいものでした。
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「日本雛祭考」有坂与太郎(昭和六年)
元禄雛(げんろくびな)元禄(1688~1703)時代に作られたもので、寛永雛に似ていますが一回り大きくなりました。寛永雛と同様に男雛の頭は冠と一体の木彫、女びなは両手先がつき、衣服は十二単に変化。ただし冠は無く、黒髪の垂髪(下げ髪)が描かれました。また、紅花染めの平織りの袴を着けました。