雛飾り、本来は左(向かって右)が男雛。現在は右に座する関東雛が優勢なのは何故? (5/5ページ)

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享保雛(きょうほびな)

享保(1716~1736)時代に京都で生まれて各地に広まりました。

雛は36センチを超えるなどすこぶる大きくなりましたが、享保6年の幕府お触書により、大きさを8寸(24センチ)以下と定められました。いわゆる「贅沢禁止令」の一つですね。

男雛は束帯(男子が参内する際に着用した正式の服装)で太刀を差して笏を手にし、女雛は平安時代の正装である唐衣(からぎぬ〈平安時代の十二単の一番上に着る衣〉)、五衣(いつつぎぬ〈下重ねの5枚の衣 〉)姿に。また、糸でできた髪の毛が作られ、女雛が冠を被るようになりました。

ちなみに前述の御触書により、今度は芥子雛というミニチュア化した精巧できらびやかな雛人形が流行ったとか。ただでは転ばぬ職人魂ですね。

古今雛(こきんびな)

江戸後期に江戸で完成された雛人形で、享保雛と同じく男雛は束帯、女雛は十二単です。一番の特徴は目にガラス玉をはめ込む象眼が初めて取り入れられたこと。

また現在でよく見られる7・8段もの派手な段飾りは江戸後期の古今雛の潮流を受け継いでいるそうです。

上段に古今雛と下段に紙雛(筆者撮影)

ちょっと変わったお雛さま

老夫婦の「百歳雛」
百歳まで共に歩むことを願い、男雛と女雛が老夫婦のお姿です。

太夫雛
遊女の太夫は、将来の職業としては相応しくない気もしますが、太夫は高い教養を兼ね備え位の高い者を相手にしたので、そのような教養のある存在になるように、との願いが込められているそうです。

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