「たかがゲーム」では済ませられない「ドラクエ」の物語性とは何か(さやわか) (6/7ページ)
今時のゲームというのは数十人から数百人単位のチームで作られることも普通ですし、また今や堀井雄二は総監督的なポジションとなっているので、物語に全面的に関与しているとは言えないという人も多いでしょう。
しかし映画を映画監督の名前で語るように、本書はドラクエを堀井雄二の作品として位置づけ、物語に彼の思想が現れたものとして語ることにしました。こうすれば、一人の作家がこの作品に何を込めようとしたのかを、シリーズ全体を通して辿(たど)ることが可能です。
そういうわけで、堀井雄二以外の人物、たとえば初期にプログラマーをつとめた中村光一やキャラクターデザインの鳥山明がどのような創意工夫を行ったかは、本書ではあえて書いていません。もちろん開発体制がその後どのように変遷したかなどもわずかにしか触れていません。
あるいは『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』や『ドラゴンクエストモンスターズ』のように、シリーズのキャラクターや世界観を使った、数多くの派生的なゲーム作品についても本書は言及していません。また漫画化やアニメ化、小説にいたるまでの多種多様なメディアミックスもなされました。本書では、そのように限りなく拡散していく一大ジャンルとしてのドラクエにも、わずかにしか触れていません。
そういうことについては、いわゆるゲーム評論や、ポップカルチャー批評の本で語るのがふさわしいでしょう。本書の目的はそうではなく、ドラクエの物語を、他ジャンルの物語と同じ俎上(そじょう)に載せて、しかもとりわけ文学として位置づけながら、語ることなのです。
付け加えておくと、ここで言う「文学」とは何を指すのかということについても、その定義には言及しませんでした。しかしこれについては、本書はドラクエを読み解くことで、文学的であるとは一体どのようなことかについて語ることができると確信しています。冒頭に記したように「文学としてのドラクエ」を語るということは、「ドラクエを文学の仲間に入れて担ぎ上げる」ことではありません。ドラクエを語ることで、当たり前のように文学の輪郭を描き出すのが、本書の目的です。
この目的に従いながら、本書はドラクエを読み解いていきます。
まずは手始めに、堀井雄二の学生時代から辿っていきましょう。