「たかがゲーム」では済ませられない「ドラクエ」の物語性とは何か(さやわか) (1/7ページ)
「たかがゲーム」では済ませられない言わずと知れた大ヒットゲームの「ドラクエ」シリーズだが、実はヒットしているのは日本国内だけだという。ということは、「ドラクエ」シリーズは日本人のものの考え方に多少なりとも影響を与えていたり、あるいは日本人の精神性が反映されているのではないか。ライター・物語評論家・マンガ原作者として知られるさやわか氏が深く掘り下げる。
ドラゴンクエスト、通称「ドラクエ」。
これは日本で最も人気のあるゲームのシリーズのひとつです。他に並び立つものと言えば「スーパーマリオ」や「ファイナルファンタジー」くらいのものでしょう。
本書(編注:『文学としてのドラゴンクエスト 日本とドラクエの30年史』)はこのドラクエを文学としてとらえ、その物語的な意味について考えたものです。
ただし、本書の目的はドラクエに「文学」という権威のありそうな立派なレッテルを貼って、「ドラクエは文学なのだ、だからスゴいのだ」と賞賛したいわけではありません。そういうやり方は、「文学」にも「ドラクエ」にも失礼にあたるのではないでしょうか。
しかし、たしかに、たかがゲームに「文学」とは大げさすぎると考える人も多いでしょう。ただ、僕はまさしく、ドラクエを「たかがゲーム」と言って軽視することが正しいのだろうかという疑問からこの本を執筆しようと考えました。
というのもドラクエは、80年代前半から2010年代の現在まで全作がリリースされ、そのいずれもが100万本以上の売れ行きを見せています。最大のヒットを飛ばしたものになると、400万本以上売れています。
今の日本で、400万本も売れているコンテンツは、なかなかありません。もしあればゲームに限らず、本でも、音楽でも、映画でも大ヒットだと言われるだろうし、優れた内容を持ったものとして世間も注目するでしょう。
しかしゲーム作品の場合、数百万本売れたからと言って、小説や映画並みの話題にはされないのが普通です。もちろんヒット作としてニュースになったりはするかもしれませんが、その内容がどんなものであるのかまでは、あまり一般には解説されないし理解もされません。