「たかがゲーム」では済ませられない「ドラクエ」の物語性とは何か(さやわか) (2/7ページ)

ブッチNEWS

そもそもニュースを見て、「そんなに面白いなら自分も遊んでみよう」と思う人だって、ファミコンが大ブームだった昔ならいざ知らず、今は減っているのではないでしょうか。
 一方で、ゲームが大好きなゲームファンなら、ゲームのことをべらぼうに高く評価するはずです。しかしそういう人たちは愛情ゆえに全面的に絶賛してしまったりもするので、それはそれで多少の問題がある見方だと言えるかもしれません。たとえばゲームを、映画や小説なんかよりも優れていると語ってしまったりします。別に、優劣で論じなくたっていいと思うんですけどね。

 要するに、今の日本だと、ゲームを他のジャンルと横並びのものとして、当たり前に評価することがなかなかできないのです。
 しかし繰り返すように、ドラクエは80年代から数百万本という単位で売れてきました。それだけの数が長期にわたって売れ続けているということは、このシリーズは日本人のものの考え方に多少なりとも影響を与えていると言ってもいいのではないでしょうか。あるいはまた、その作品に描かれている内容には、それが作られた時代の日本人の精神性が反映されていると考えてもいいのではないでしょうか。
 少なくとも、小説が400万部売れたとしたら、しばしばそういう評価をされることになるでしょう。つまり「この小説は日本人の考え方に影響を与えた」とか「この小説には今の日本人のものの考え方が表れている」とか、言われることになります。だけど、ゲームの場合はそうは言われない。みんな「たかがゲーム」だと思っているわけです。なぜなのでしょうか。 「ゲームには小説のような、深い物語性がないのだから当然だ」と考える人もいるかもしれません。しかし前述のように今のゲームが何を描いているのか知らない人が多いのですから、本当にそれらの作品に深い物語性がないのかどうかもわからないはずです。
 本書では次章から詳しく触れますが、少なくとも、本書のテーマであるドラクエについて言えば、ゲームで物語を表現するということを追求するところからその歴史は始まっていると言うことができます。したがって、それはシリーズを追うごとに、必然的に複雑な物語性を含んだものになってもいるのです。ゲームが好きかどうかに限らず、どのくらいの人がそうしたことを意識しているでしょうか。

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