歴代総理の胆力「伊藤博文」(3)リーダーシップの決め手は「妥協の達人」であること (2/2ページ)
このあたりから、若い頃とは一変、達観したように金銭欲、名誉欲を払拭した生き方となった。同時に巧みな調整力、「妥協の達人」ぶりが全開となったのだった。
内閣制度創設そのものも、参議の異論に妥協を駆使して、調整、じつに2年をかけてたどり着いている。また、一方で天皇を核とする立憲制にとって、何よりの大事は天皇と内閣の間の信頼関係だったが、伊藤は初代の宮内大臣を兼任して明治天皇との接触の機会を多く持ち、自らの私心のなさもアピールした。ために、明治天皇の絶大な信頼を得、政府に対する疑心を取り除くことができたのだった。
その人間関係のつくり方は、徹底していた。鳥谷部春汀による『明治文学全集92・明治人物論集』(筑摩書房)によれば、実力者に対しては常に恭順、忠誠心で臨む一方、自分の脅威にならぬ者を周りに置いて重用するのを特徴とした。“抜け目のなさ”が窺えるが、このあたりを駆使しての巧みな調整力ということだった。
■伊藤博文の略歴
天保12年(1841)10月16日周防国(現・山口県)生まれ。明治42年(1909)10月26日ハルビン駅頭で狙撃され死去。享年68。
総理大臣歴:「初代」1885年12月22日~1888年4月30日・「第5代」1892年8月8日~1896年8月31日・「第7代」1898年1月12日~1898年6月30日「第10代」1900年10月19日~1901年5月10日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。