葬式仏教の台頭が仏教と死を結びつけた?非日常的な存在の仏教の今後の課題 (2/3ページ)

心に残る家族葬

「阿弥陀仏に南無する」、つまる阿弥陀仏に帰依する、全てを任せますという意味で恐怖とは無縁のありがたい言葉なのである。

有名なお経といえば「般若心経」だろう。自分も世界もすべては「無」であると説くもので、意味を紐解けば怪談どころか、難解な哲学書に近いことがわかる。最新の量子力学の結びつける人さえいる。般若心経を読むとは例えるなら「人間の認識能力は直観と悟性から成り立っており、直観には先験的直観による超越論的実体の認識における~云々」などという小難しい講義を読むのと同じことであるはずなのだ。それにも関わらず、深夜にどこからか般若心経が聞こえてくれば、やはり恐ろしくなるという人がほとんどだろう。知識や理屈で本来のお経を理解している人であっても、無意識に刷り込まれたイメージは拭いがたい。

■「チャプレンとビハーラ」ーー死にたいするケア

寺社と同じく、病院・病人の現場もまた非日常的空間である。お経がいくら哲学的だ、ありがた言葉だといっても、病院や病人の前で唱えたら批判は免れない。これが讃美歌や神道の祝詞ならば「死」がちらつく現場でもさほどの抵抗は受けないと思われる。教会や神社は結婚や七五三など「ハレ」のイメージがあるからだ。

祝詞はともあれ、讃美歌や聖書の文句を病院・病人の現場で唱えることはある。キリスト教にはチャプレンという人がいて、患者の話を傾聴し、死は終わりではないという教えを説くなど、死の恐怖と向き合う終末期患者の心を安らげる宗教的ケアを施している。

日本においても仏教各派が「ビハーラ」というチャプレンと同様の終末期宗教的ケアを展開している。特に浄土真宗、浄土宗はビハーラ活動に熱心である。これは「浄土」という他世界観が死後の存在を説き、苦痛を和らげる終末期患者へのケアと相性が良いことが挙げられるだろう。禅の深淵な「悟り」は一般人には難しい、苦痛に喘ぐ病者であればなおさらである。

しかし、現状ではビハーラは世間一般には浸透していない。葬式を連想させる僧侶がそのままの姿格好で病人に寄り添うには、他の患者からの抵抗がある。病院に僧侶が出入りし、念仏でも唱えれば周囲から抗議されることは必至だろう。

「葬式仏教の台頭が仏教と死を結びつけた?非日常的な存在の仏教の今後の課題」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る