葬式仏教の台頭が仏教と死を結びつけた?非日常的な存在の仏教の今後の課題 (3/3ページ)

心に残る家族葬

実際にビハーラ僧が病院を訪問する際には、他の患者への影響を考えて、法衣を着ることはなく、私服なりスーツなりである場合が多い。患者にとって僧侶は死を連想させる招かざる客なのだ。

その点、ハレの場と死の現場という二つの非常的空間を往来しているキリスト教はそこまでの拒絶されることはなく、欧米におけるチャプレンはそれなりの地位を確立している。


■日常における仏教の再改革

昨今のスピリチュアル、パワースポットブームで寺院が「癒し」の空間として親しまれる面もあり、静かな空間で若い女性がお経を唱える、写経をするなどの風景は珍しくない。しかし、それも寺院が非日常的空間であることから抜けていない。あくまで仏教的モノ=死は日常空間にあってはならないものというイメージは根強く残っている。

医学の発達によって人は中々安らかに死ねなくなった時代である。そうした中でこれからは、チャプレンやビハーラの役割は大きくなると思われ、仏教各派は日常における立ち位置を変革しなくてはならない。

"葬式仏教"は死を「穢れ」として忌み嫌った慣習を突破したところから始まった。その志がまだ残っているなら不可能ではないはずだ。

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