幕末時代、カネ目当てで浪士組に入った「偽志士」コンビの末路とは? (4/4ページ)

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両国橋に晒される首級(右上)。月岡芳年「近世奇説年表」文久三1863年4月

文久三1863年4月10日、ついに六郎と周造は斬首され、両国橋のたもとに晒されたそうです。

ついでにその三日後(4月13日)、清河八郎が同じ浪士組の佐々木只三郎(ささき たださぶろう)らに斬られたことで江戸での攘夷運動は未然に阻止され、浪士組は新徴組(しんちょうぐみ)へと再編されていくのでした。

清河の死は二人が斬られて間もなくの事なので、もしかしたら六郎と周造は清河の側近となっていて、清河の力を削ぐために斬られたのかも知れません。

終わりに

誰もが日本の激動を感じていたであろう幕末の時代にあって、一人ひとりのとった行動や選んだ生き方は千差万別、世の役に立ちたいと志に賭ける者がいれば、ただ目の前の利益に駆けずり回る者、そして時流に翻弄されることなくしっかりと地に足をつけ、地道な暮らしを営み続けた者もいました。

いずれも共通しているのは、どこで何をしていても、それぞれ自分の人生を精一杯生きていたという事実。

立派な人物がいる一方で、普通の人も面白い奴もロクデナシもいて、彼らのような偽志士もまた、百花繚乱の幕末時代を彩る徒花として愛でて頂けたらと思います。

※参考文献:
黒鉄ヒロシ『幕末暗殺』平成十1998年9月

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