歴代総理の胆力「寺内正毅」(1)「ビリケン宰相」と呼ばれた理由 (2/2ページ)

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一方で外交はと言うと、こちらは目まぐるしく動く国際情勢の中で、対外積極政策一辺倒に終始した。こうした中で、政策は国民の反発を買い続けたのだった。

 ロシア革命に対してのシベリア出兵があり、国内では大戦景気による物価高騰となったことで、折りからの「大正デモクラシー」の高揚も手伝って「米騒動」に発展した。「米騒動」は富山県に始まり、ついには1道3府38県といった全国レベルに達したのである。これに対し、寺内内閣は軍隊を出動させて鎮圧に動いたため、多数の死傷者が出た。

 結局、この「米騒動」が政権の致命傷となり、寺内内閣は総辞職を余儀なくされたということだった。ちなみに、第一次大戦の結果、日本はようやく世界の「一等国」の仲間入りを果たせたものの、一方で対中国政策で国際的反発を買うことにもなったのだった。

■寺内正毅の略歴

嘉永5(1852)年2月5日、長州(山口県)吉敷郡生まれ。第一次桂内閣陸相、第一次西園寺内閣と第二次桂内閣で留任。その後、陸軍大将、韓国総監、初代朝鮮総督、元帥を経て、寺内内閣を組織。総理就任時、64歳。大正8(1919)年11月3日、67歳で死去。

総理大臣歴:第18代1916年10月9日~1918年9月29日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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