処刑後数百年以上たってから無実が判明した中世の魔女の奇妙な物語(ドイツ) (3/6ページ)
人々は、魔女や魔法使いが夜さまよい歩いていると信じ込むようになり、誰が魔女なのかという噂が飛び交った。
・ヴュルツブルグの魔女裁判にかけられる
1626年から1631年、ヴュルツブルグの魔女裁判の悲劇が始まった。この間に今度は地元の修道院のある尼僧が憑依されたと言い出して、人々を闇の魔術の驚異にさらした。
どういうわけか、カタリーナとハーガーが、闇の魔術でケルンのその修道院に病気や不幸をもたらした張本人たちだと、後ろ指をさされるようになった。
ふたりのきょうだいは大司教の命令で逮捕され、裁判や陪審もなく監禁、魔女だとされて過酷な拷問を受けて自白を強要された。
・罪を認めなかったことが「魔術の証拠」とみなされ処刑
しかし、カタリーナは身に覚えのない嫌疑をすべて否定し続け、ハーガーは宮廷に訴えようとしたが、これが却って、魔術を使った証拠とみなされてしまった。
当時、カタリーナと同じような立場にある影響力のある人たちの多くが、黒魔術を使ったという同じ疑いをかけられ、手あたり次第に逮捕された。
兄のハーガーは、有罪を宣告される前に釈放されたが、カタリーナへの情け容赦ない拷問は続き、右手がまったく使えなくなってしまった。
それでも、彼女は決して屈しなかった。いっさい罪状を認めなかったにもかかわらず、カタリーナは町中を引き回され、群衆からやじられ唾を吐きかけられたあげく、1627年に火あぶりになった。
ドイツで1500年から1782年の間に、魔女の疑いをかけられて死に追いやられた2万5000人のひとり
となった。
ヴュルツブルグの魔女裁判だけで900人以上が死んだのだ。その中には、老若関係なく、あらゆる信仰、職業の人が含まれていたが、これらの人たちのほとんどが世間から忘れ去られ、いまだに公には有罪だとされている。