諸行無常の響きあり…裏切りに絶望した悲劇の貴公子・平清経の生涯(中) (3/4ページ)

Japaaan

緒方三郎惟義の肖像。

この惟義、元は重盛に仕えていた者であり、平家一門の形勢不利と見て裏切ったのですが、余力に乏しくできれば戦いたくない平家一門は、どうにか惟義を説得しようと重盛の次男で清経の異母兄・平新三位中将資盛(たいらの しんざんみのちゅうじょう すけもり)を派遣しました。

「そなたは我が父・重盛に仕え、その御恩に与(あずか)っておったではないか……」

しかし交渉はあっけなく決裂。あわや資盛は捕らえられそうになりますが、惟義は「今はこんな小者一人捕らえたところで仕方がない。逃がしてやるから疾々(とっと)と帰れ。後でまとめて討ち滅ぼしてやるから(笑)」と解放。資盛は這々(ほうほう)の体で大宰府に逃げ帰りました。

そして惟義は次男の野尻二郎惟村(のじりの じろうこれむら。肥後国阿蘇郡野尻の住人)を大宰府に派遣。平家一門に対して「平家は我らが代々の主君ですから、本来なら兜を脱いで弓の弦を外して降参すべきなのですが、なにぶん後白河法皇のご命令なので、平家一門を九国(くこく。九州)から追い出さねばならんのです」と伝えます。

それを聞いた平大納言時忠(たいらの だいなごんときただ。清盛の義弟)は「畏れ多くも我らの奉戴せしは(※)天孫四十九世の正統、仁王(にんのう=人皇)八十一代の帝=安徳天皇におわすのだぞ。そもそもそなたらは、亡き清盛様から受けたご恩を忘れたか……云々」などと憤ったものの、惟村は馬耳東風。

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