モデル消滅決定のスバル レガシィB4を振り返る (3/5ページ)

イキなクルマで

ブリスターフェンダーが印象的なデザインは、ジウジアローが関与したとされますが、スバルのオリジナルのデザインです。

エンジンは、スバル伝統の水平対向エンジン。新開発のEJ20エンジンはレオーネのOHCからDOHC4バルブ化されインタークーラー付ターボが搭載され、最高出力は220PSとライバルと肩を並べるパワーを獲得しました。

販売前には、アメリカのアリゾナ州で10万キロ耐久走行の世界速度記録を樹立。走行平均速度は、223.3kmを19日間の挑戦で成し遂げました。

レオーネからWRCにスポット参戦していたスバルは、さらにスバルのブランドイメージを浸透させるためにWRCにフル参戦することになりました。

WRCデビュー戦は、サファリラリー。グループA全盛期で、ランチア デルタインテグラーレ全盛期。それに、トヨタ セリカGT-FOURや三菱ギャランVR-4が台頭してきたころです。グラベル(未舗装路)では最速ながらマシンの信頼性が低くトラブルに悩まされてなかなか優勝とはなりませんでした。

WRCで優勝するためには熟成期間が必要だったのです。1993年、次期マシンが一回り小ぶりなボディのインプレッサに決まり最後のWRTCとなったニュージーランドラリーで悲願の初優勝を成し遂げたのです。ドライバーは、今はなきコリン・マクレーです。

見事に、スバルを危機から救った初代レガシィはスバルの救世主でしょう。

■セダンに力を入れた2代目レガシィ (1993~1998年)

WRCの主役はインプレッサに譲った2代目レガシィ。

しかし、EJ20は、ツインターボ化されスポーツセダンとしてはさらに進化しました。世界初の280PSを達成したハイパワーモデルでもあります。2500cc水平対向4気筒そしてさらに大排気量の3000cc水平対向6気筒とエンジンバリエーションも豊富になりました。

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