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アサ芸プラス

歴代総理の胆力「岸信介」(1)リーダーシップは歴代でも“3本指”に入る

 戦後最初の総理大臣だった皇族初の東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)から今日の安倍晋三まで33人のトップリーダーがいるが、ことリーダーシップを問えば、この岸信介は“3本指”に入る。例えば、岸を祖父とする現総理の安倍も、比べれば天と地くらいの差がありそうである。

 世評、毀誉褒貶(きよほうへん)の多かった岸については、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の政界を権謀術策で渡ってきた側面が強調されることが多いが、論理的な政策処理能力、持ち前のハラのすわり、そして何より信念に基づく明確な国家戦略を持ち得ていた人物だったということができる。好き嫌いは別である。

 それは、長く戦後日本の「保守」「革新」の対立軸となった米国との「60年安保」と言われた新安全保障条約の推進、また経済の高度成長を軌道に乗せることになる「ポスト岸」の池田勇人内閣の基盤をつくったことにも表れている。「タカ派」代表としての批判は別にしても、少なくとも一国のリーダーとして、岸の国家、国民に責任を持とうという姿勢にブレはなかったと言ってはいいようだ。

 岸内閣は前任総理の石橋湛山(たんざん)が病気によって内閣総辞職したことで、石橋内閣の外務大臣だった岸が引き継いだ形でスタートした。岸はパージ(公職追放)が解除となったのを機に衆院で議席を持ち、それからわずか4年足らずという異例のスピードで政権の座にすわったものだった。昭和32(1957)年2月である。

 その第一次内閣での岸は、まず反共姿勢を明確にし、日本が積極的な自由主義陣営の一員として行動することを表明した。これは米国に極東における同盟国として日本の役割を認めさせ、それまでの不平等な旧日米安全保障条約を日米双務的に改めること、すなわち“日米の新時代”と国家のアイデンティティーを明確にすべきとの意味であった。同時に、東南アジアと米国を相次いで訪問、とくに訪米の目的は旧安保条約の改定への足がかりをつくることにあったということだった。

 一方、第2次内閣では、内政とりわけ「警察官職務執行法(警職法)」の改正問題に直面した。これは労働争議の“暴力化”を防ぐのが狙いだったが、職務質問など警察官の権限が大幅に強められるものであったことにより、社会党などから「デートもできない警職法」の声を挙げられた。

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