アラ還女性が「いざ鎌倉!」息子への愛情と遺産相続の執念を詠み綴った「十六夜日記」 (4/5ページ)
うちしぐれ 古郷(ふるさと)思ふ 袖ぬれて 行先遠き 野路の篠原
いとゞ猶(なお) 袖ぬらせとや 宿りけん まなく時雨の もる山にしも
ひまおほき ふはの關屋(せきや)は この程の 時雨も月も いかにもる覽(らん)
時雨けり 染る千入(ちしお)の はては又 紅葉の錦 色かはるまで
待(はべり)けりな 昔もこえし 宮地山 おなじ時雨の めぐりあふよを
思ひやれ 露も時雨も 一つにて 山路(やまじ)分(わけ)こし 袖の雫を
古郷は 時雨にたちし 旅衣 雪にやいとゞ さえまさるらん
つたかえで しぐれぬひまも うつの山 涙に袖の 色ぞこがるゝ
旅衣 涙をそへて うつの山 しぐれぬひまも さぞしぐるらん
時雨とは初冬に降る俄か雨の他にも「涙を流す」意味(しぐれる)があり、遠く離れた故郷に残る息子(※)の将来を案ずる母の愛情が偲ばれます。
(※その後、為相も参考人としてしばしば鎌倉に召喚されます)
エピローグ……かくして鎌倉幕府に遺領相続の訴えを起こした阿仏尼ですが、その判決が出る前の弘安六1283年4月8日、鎌倉の地で亡くなってしまいました(京都に帰った説もあり)。
しかし判決は為相の勝訴となり、阿仏尼も草葉の陰から喜んだことでしょう。そしてこの事がご縁となって為相は鎌倉に移住します。