死の奇襲へのゆるい備え。覚悟は幸福。正常化バイアスの破壊。 (2/3ページ)
老婆は口ではいつ死んでもよいと言いつつ実はリアルに考えていなかったのである。つまり自分をごまかして生きていたのだ。
■ジョジョ第6部のプッチ神父の思想
そんな生き方は真実の人生ではないと主張したのが荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」(週刊少年ジャンプ1999〜2003連載)のラスボス・プッチ神父である。この作品はスタンドという超常能力を持つ者同士の戦いが描かれており、プッチ神父は「世界の歴史を一巡させる」スタンドを持っている。
この能力は発動することで世界が一巡し、全人類の一生も一巡して元に戻る。人々は自身のこれからの一生を一度見ることになり、その記憶を持ったまま生きることになる。つまり自分の死期もわかるということだ(正確な記憶は曖昧だが感覚で残っている)。その目的は死を知ることで「覚悟」を持って生きられることだという。覚悟を持つ人生は死の恐怖から自分をごまかして生きる薄っぺらい人生ではなく充実した真の人生を送れるということだ。作中での有名なセリフとして「覚悟は『幸福』だぞ」がある。
■了解する人生
死の覚悟があるとなぜ充実した人生になるのか。明日死ぬなんて考えても暗くなるだけではないか。死ぬなんて考えたくもない、こんな元気なのに死ぬわけがない。災害なんてめったに起こらないし、起きたとしてもそこが広い地球上で自分がいる場所である可能性などほとんどない。明日は必ず来る、明日も変わらず生きている。しかしそのような正常化バイアスは限りある人生を無為に消費していないか。大切なことも先送りにする適当な毎日が続く原因になっていないか。
■プッチ神父とマルティン・ハイデガー
プッチ神父の思想はマルティン・ハイデガー(1889〜1976)の「死の先駆的了解」の「通俗的解釈」そのままである。ハイデガーも、人間は「死」という漠然とした不安を持ちつつも正面から真剣に考えることはせず、目先の仕事や娯楽によって不安を回避し逃避している(頽落 verfallen)としている(注)。いずれにせよ「死」という事実から目を逸らさず真剣に生きようということなのだが、そうできないのが人間である。だから「頽落」して生きざるをえない。