戦場で生まれた絆!奥州征伐で抜け駆けした鎌倉武士の縁談エピソード【上】 (4/5ページ)

Japaaan

抜け駆けを見逃す重忠の余裕と、義村たちの雑草魂

かくして夜陰に紛れて陣中を抜け出した義村以下七人は、畠山重忠の陣地を横目に通過していきました。

当然、そんな動きはたやすく察知されてしまいますが、発見した郎従の(早く義村たちを足止めすべきとの)進言を、重忠は退けます。

歌川国芳「名高百勇傳」より、鎌倉武士の鑑・畠山重忠。江戸時代。

「先陣をこの重忠が承った以上、我らが戦端を開く以前に誰が何をしようと、その勲功はすべて重忠に帰するものである。そもそもこの戦は頼朝公の命じた大義によって行うものであり、我ら御家人が個々の手柄を争うなど下らぬこと……まぁ、捨て置け」

【原文】……すでに先陣を承るの上は、重忠が向はざる以前の合戦は、皆重忠が一身の勲功たるべし。かつは先登(せんど)に進まんと欲するの輩の事、妨げ申す條、武略の本意(ほい)にあらず。かつはひとり抽賞を願ふに似たり。ただ惘然をなすこと神妙の儀なりと云々……

※『吾妻鏡』文治五年八月九日条より。

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