戦場で生まれた絆!奥州征伐で抜け駆けした鎌倉武士の縁談エピソード【上】 (3/5ページ)

Japaaan

守川周重「三浦義村 中村時蔵」明治十四1881年

「行くのであれば、なぜ我らを誘わぬか!」

建前でこそ禁止していながら、誰もが手柄を立てたくてウズウズしていたようです。

「はあ」

「そうと決まれば善は急げ(?)ぞ!」

「「「おう!」」」

「あ、あの……」

気づけば止めるのは清近ひとり。あれよあれよと話は進み、以下七名で抜け駆けを敢行することとなりました。

一、三浦平六義村
一、葛西三郎清重(かさいの さぶろうきよしげ)
一、工藤小次郎行光
一、工藤三郎祐光(くどうの さぶろうすけみつ)
一、狩野五郎親光(かのうの ごろうちかみつ)
一、藤澤次郎清近
一、河村千鶴丸(かわむらの せんつるまる。後に元服して四郎秀清)

※太字は今回のキーパーソン。

さて、抜け駆けは成功するのでしょうか。

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