田中角栄「怒涛の戦後史」(18)元自民党副総裁・金丸信(下) (2/3ページ)

週刊実話

その後、小沢は新生党を立ち上げ、竹下が推した格好の宮澤政権を選挙で打ち破る。非自民の細川(護煕)政権をつくり上げ、自民党を野党に転落させるなど「風雲児」ぶりを示したものだった。

 一方の金丸はと言えば、持病の糖尿病と戦いながらも裁判に縛られ、この頃はすでに“過去の人”となりつつあった。
 何やら金丸は、病に倒れ、それを機に竹下に政権が回ったことで“過去の人”を余儀なくされた田中と、運命の図式が似ていたとも言えたのだった。

★「闇将軍」と「妖怪」

 振り返ってみれば、「政策派」ではなく「体力派」議員から出発した金丸は、その後も政策判断などはいささか「アバウト」で、これは金丸の“代名詞”にもなっていた。しかし、後年は持ち前の調整力で実力者への階段を駆け上がっていったものだった。

 閣僚経験は建設、国土、防衛、竹下内閣では副総理も務めた。このあたりは調整力が金丸の最大の持ち味となったが、それを支えたのは金丸特有の情報収集策にあったようだった。金丸自身が、そのあたりを次のように告白している。

「ある人から話を聞く。しかし、私はそれを鵜呑みにはしませんよ。なんとなく、あっちこっちでいろんな話が入ると、別のところの記者二〜三人から聞くんだ。こんな話もあるよ、君は耳にしているかい、と聞く。知っておれば、いろいろな話を聞かせてくれる。これはまともな話だということであれば、それでは私もどうすればいいかを、そのときに考えるということだ」(『金丸信寝技師の研究』仲衛・東洋経済新報社=要約)

 ちなみに金丸の妻・悦子は、これを「夫は希代の聞き上手。先入観でなく“後入観”で、臨機応変、柔軟に動くのがコツ」と表現している。

 一方、姻戚関係にあった金丸、竹下と田中の「手法」の違いを、かつて小沢が筆者にこう分析してくれたことがあった。

「金丸さんは『人間のやることで、なんともならねぇものなんかあるものか。捨て身でかかれば、必ず勝機が出る』と“名言”を残したが、人の意見は本当によく汲み上げていた人だった。根は素直だったね。竹下さんはと言うと、聞いているふりをして、聞いていないことが多かった。

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