田中角栄「怒涛の戦後史」(18)元自民党副総裁・金丸信(下) (1/3ページ)
田中角栄が脳梗塞で倒れ、最大派閥の田中派が揺れる中で、その約2年半後、田中が派閥の後継者として認めなかった竹下登が田中派の大勢を糾合、自派としての「経世会」を旗揚げし、竹下内閣を発足させた。
その竹下内閣の骨格は、竹下を軸に、金丸信、小沢一郎の三者によって支えられていた。この三者は“ファミリー”である。
竹下の長女・一子と金丸の長男・康信が結婚、小沢は田中角栄のすすめで新潟の大手建設会社「福田組」の社長令嬢・福田和子と結婚していたが、その妹である雅子が、竹下登の実弟・竹下亘(現・竹下派会長)と結婚したことにより、三者は姻戚関係になっている。ために、つながりは強固であった。
当時、金丸の政治拠点となっていた個人事務所がパレ・ロワイヤル永田町にあった。この隣の十全ビルに小沢の事務所、この二人の事務所から通り1本はさんだTBRビルに竹下の事務所があり、それぞれに政治家、官僚、経済人、政治記者らが日参していた。
永田町スズメは、この三角地帯を「ゴールデン・トライアングル」と呼んでいた。また、永田町を差配するとして、実のところ「憎い金竹小」の陰口もあったのだった。
しかし、竹下がリクルート事件を契機に退陣すると、この「トライアングル」に異変が生じた。竹下は金丸と協調せず、自らの影響力温存をうかがい、以後、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一政権の誕生を推進。一方、この竹下に「世代交代」論者の金丸、政界再編による政権交代可能な政治状況の現出を画策する小沢が反発、やがて三者の関係は破綻することになった。
破綻への最大のきっかけは、平成4(1992)年10月、当時、自民党副総裁だった金丸が、東京佐川急便から5億円のヤミ献金を受け取っていたことが発覚、衆院議員を辞任せざるを得なかったことにあった。
結局、金丸は翌年3月、ヤミ献金総額10億3000万円を脱税したとして所得税法違反(脱税)容疑で逮捕される。一方で、このヤミ献金問題の処理をめぐって金丸と小沢が対立、以後、竹下を交えての三者は泥沼の抗争に巻き込まれていくのだった。
揚げ句、竹下派経世会は分裂、竹下は小渕(恵三)派の事実上のオーナーとなり、小沢は羽田孜、渡部恒三らと羽田派を立ち上げて自民党を離党した。