かけ方わかりますか?かつては「タダがけ」されまくっていた公衆電話の歴史に迫る (2/4ページ)

Japaaan

公衆電話にも紙幣が使えるものが登場したのですが、それまでの硬貨式の公衆電話に紙幣投入口をつけただけのものだったため、硬貨の音による料金の投入の確認ができなくなってしまいました。

つまりきちんとお金を入れたかどうか、利用者を信じるしかなくなってしまったのです。

この結果「料金を投入せずとも通話ができる」という情報が人々の間に広がり、最終的な料金の回収率は東京で15~20%にまで落ち込んでしまいました。

硬貨の流通で公衆電話も進化!「料金前納式」に

そこで1951(昭和26)年より始まったのが、「赤電話」に代表される「委託公衆電話」でした。

公衆電話のタダ利用を防止するため、本来ならすぐにでも公衆電話を「硬貨投入方式」にしていきたかったのですが、10円硬貨の鋳造が開始されたばかりで流通量があまり多くなかった当時は、紙幣と併用できる公衆電話が欠かせない状況でした。

そこで「公衆電話番の人に側にいてもらい、お金を徴収してもらえるようにすれば良い」ということになり、委託公衆電話第1号が新橋のタバコ屋の店頭に設置されました。

この時の電話機はいわゆる一般的な「黒電話」で、お店の自家用電話のようで目立たず「公衆電話」という認識がされにくかったため、最も目立つ色の「赤電話」に切り替えられていくことになりました。

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