武士の身分を取り戻せ!明治維新の戦場を駆け抜けた甲賀忍者たちの武勇伝【中】 (2/5ページ)
越後口総督として官軍の指揮をとる仁和寺宮嘉彰親王殿下(中央)、Wikipediaより。
同じ頃、高野山・金剛峯寺(現:和歌山県伊都郡高野町)に仕えていた郷士によって編成された「高野(こうや)隊」、摂津多田院(現:兵庫県川西市)に仕えていた郷士で編成された「多田(ただ)隊」と合わせて「旗本隊(はたもとたい)」と呼ばれました。
「……天下泰平のため、疾(と)く北越の賊徒を討ち平らぐるべし……」
慶応四1868年6月14日、嘉彰親王は奥羽越列藩同盟を討伐するべく北陸道より進撃する越後口総督に任ぜられ、同年6月22日になっていよいよ京都を出立。