前向きになることがいいことだとは限らない。とどまることを選択する意味。 (2/3ページ)

心に残る家族葬



■遺体無き葬儀で空っぽの棺を前にした女性の心境

そうした中、親族が葬儀をあげることを勧めるようになる。女性は夫の遺体がないのに葬儀をあげるということの意味がわからない。立場上拒めなかった葬儀の場では、空っぽの棺を前に何を弔っているのかわからなかったと話す。そして目の前にある遺影はなんと結婚式の写真を加工したものだった。津波で家が流され唯一残っていた結婚式の写真。その夫の着物が黒く加工され遺影にされていたのである。幸せの絶頂を写し取った写真の変わり果てた姿であった。遺体無き葬儀は生と死が不明瞭であいまいに交錯する場だった。

■ドラマ「この世界の片隅に」でのワンシーン

ドラマ「この世界の片隅に」(TBSテレビ)の中で主人公の兄の遺骨が返還されるシーンがある。決して中を見てはならないと言われていたが、ふとした事で中身が出てしまう。それはこぶし大の石ころだった。激戦地では遺骨を回収することは難しい。国は家族に「死の事実の形」を届けたのだ。中身を見なければそれは遺骨であり死を受け入れ弔ったはずである。ところが見てしまったことで家族は死を実感できず、あいまいな喪失に陥ることになった。「あんな石では、どう悲しんでいいかわからない」というセリフがその心情を表している。

■あいまいな喪失のまま時が過ぎていく

葬儀を勧めた親族の気持ちは理解できるものだ。葬儀の目的のひとつは区切りとして行われる。死者を弔い、残された者が生きていく誓いを「前向き」に立てる場である。しかし死を受け入れていない者は何を弔っているのかわからない。葬儀は死者だけのためでも、残された者だけのためでもない。死者と生者が、死と生があいまいではなくはっきりと交わる場である。女性に比べて夫との愛情の距離が遠いであろう親族は夫の死を事実として受け入れ、明瞭な形で死と交わり、一応の区切りになったと思われる。一方で女性はあいまいな喪失を抱えたまま空虚な記憶が残されただけだった。今でも同居の姑が仏壇を設置し毎日菩提を弔っているのに自分はどうしても線香はあげられないという。女性にとってその仏壇もまた空っぽの棺と同じものなのだろう。
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