前向きになることがいいことだとは限らない。とどまることを選択する意味。 (3/3ページ)
■前を向くことは果たして正しいのか
震災も一定の時が過ぎると、復興、未来、明日へつなごう・・といった前向きの言葉が増えてくる。そうした声に彼女はズレを感じていたが、皆が前向きになっている中で話せる空気ではなかった。あいまいであること、留まることは慎むべきなのだろうか。人は前を歩くべきなのか。山里亮太はこう締めくくった。
「『前見て行こうよ』なんていうのは、すごい耳障りがね、よく聞こえるけど、ひょっとしたら、そこが別にたどり着かなきゃいけないとこでもないかもしれませんしね」
前向きになることは素晴らしいことである。ただし唯一の正解でもない。前向きに歩こうとする人達の中で、置いてきぼりになっている人がいることも事実だ。葬式を勧めた親族も良かれと思ったのかもしれないが答えを出すだけが正解ではない。
■あいまいさに漂う生きる希望
女性は2004年のスマトラ島沖地震の津波で行方不明だった少女が7年後に家族と再会した「漫画のような」実話を例にあげ、夫がひょっこり帰ってくる可能性もあると冗談混じりに話した。可能性はゼロではない。あいまいである故に。また、家で見かける虫などの生き物や、日常生活の中に夫を感じることがあるという。その場合、既に夫はこの世ならざる存在ということになり矛盾であるが、それもあいまいさ故だろう。あいまいであるからこそ様々な形で夫を感じることができる。時にはその生存を信じ、時には見守ってくれる存在として。彼女はむしろあいまいであること、あえて前向きにならず留まっている状況の中で生きていく意味を見出しているのだ。
■受け入れられないことを受け入れる
女性は夫がいつ帰ってきてもいいように生活をしっかりすると話した。前を歩く人生もあれば、こうして待つ人生もある。家族の死を受け入れらないなら、受け入れられないことを、受け入れて生きていく。あいまいであること、それもまた人生の選択のひとつである。無理に世間の風潮に合わせることなく、あえて足を止めることで大切なものが見えてくることもあるのかもしれない。
■参考資料
■NHK教育テレビ「ねほりんはぽりん 震災で家族が行方不明の人」2020年3月11日放送
■「あいまいな喪失」