歴代総理の胆力「大平正芳」(3)角栄は大平を「宗教家」と評した (1/2ページ)

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歴代総理の胆力「大平正芳」(3)角栄は大平を「宗教家」と評した

「アイツは宗教家だから、ワシらが動くしかない」

「盟友」大平正芳が初めて名乗りを挙げた昭和53(1978)年11月の自民党総裁選で、田中角栄は田中派を総動員させ、「大平勝利」に全力投球した。首相退陣後、ロッキード事件が発覚、「闇将軍」としてなお権力温存を窺う田中としては、ここで「盟友」の大平政権を誕生させる必要性もあったということだった。

 田中が大平を「宗教家」と評したのは、本質的に争い事を好まず、常に「歩留り」を低く設定して物を見るなどで、権力抗争には向いてないことを見抜いていたからにほかならなかった。

 この総裁選には、幹事長だった大平のほか、時の福田赳夫総理(総裁)が「再選」を目指し、中曽根康弘総務会長、三木(武夫)派からは幹部の河本敏夫通産相が出馬、4人の争いとなった。結果、田中派が一丸となっての遮二無二(しゃにむに)の戦いに出たことにより、大平が勝利を収めることになった。

 しかし、この大平政権は田中の強い影響下にあることのほか、この総裁選で政権を引きずり降ろされた福田赳夫の怨念、大平の後の出番を窺う中曽根康弘、クセ者の三木武夫も待ってましたで「反主流」の立場を強め、昭和55(1980)年1月の政権後半の第2次内閣発足後も、凄まじい権力抗争に巻き込まれていった。

 第1次政権では、政権運営そのものは順調であった。外交は「日米中」に目配りの“複眼構造”で臨み、サミット(先進国首脳会議)も東京で初めて開催してみせた。一方、内政は財政改善のため「一般消費税」の導入を閣議決定するなど、今日の「消費税」の“原点”を模索した。また、統一地方選では、それまでの12年間の「革新都知事」のイスを、「自公民」3党推薦候補の勝利で奪い返してみせるといった具合だった。

 大平はこうした“順風満帆”から、昭和54(1979)年10月、政権基盤のさらなる強化を目指し、衆院の解散・総選挙に打って出たのだった。しかし、これが大きくウラ目に出た。フタを開けると案に相違して自民党は大敗、これを受けた福田、三木、中曽根の3派も、スクラムを組む形で大平政権に反旗を翻すことになったからであった。

 3派は、総選挙後の特別国会での首班指名に、総選挙大敗の責任を取れとして大平を担がず、福田赳夫を担いだ。

「歴代総理の胆力「大平正芳」(3)角栄は大平を「宗教家」と評した」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2020年 3/26号大平正芳内閣総理大臣小林吉弥田中角栄社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
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