一体どういう事情?死んでから藩主になった幕末の苦労人・吉川経幹の生涯をたどる【三】 (3/6ページ)

Japaaan

「これだけでは足りぬ。藩主・毛利敬親(もうり たかちか)・定広(さだひろ)父子を面縛して引き渡し、毛利家の本拠である萩(はぎ)城を明け渡すべし!」

面縛(めんばく)とは後ろ手に縛り上げて顔を晒す=罪人として扱う処遇であり、武士としてはこれ以上ない屈辱的な酷遇と言えます。

ひたすら低姿勢を貫き続けて経幹ですが、これを聞いて遂にキレてしまいました。

危機一髪!西郷隆盛の仲裁で事なきを得る

「……お断りします」

「何だと?その方らは朝敵の分際で……」

「黙らっしゃい。下手に出ればつけ上がりおって、我らがこれだけ平身低頭しておるにも関わらず、断じて滅ぼそうと言うなら上等だ……総力を挙げてかかって来るがいい!」

「その方、正気か!」

「……ちょうど先刻の馬関戦争で欧米列強から会得した戦術と、多数鹵獲した最新兵器を試したかったところじゃ。英仏蘭米を相手に善戦し、謀略の限りを駆使して彦島を奪還した我らが武略、とくとご覧に入れようぞ!」

晋作譲り?のハッタリをかました経幹ですが、たとえ本当に攻め滅ぼされようと、ここで主君を売り渡してしまったら、何のために関ケ原以来、徳川にリベンジを期して耐え忍んで来たのか分かりません。

経幹の覚悟と気魄が伝わったのか、首実検に同席していた薩摩藩の大島吉之助(後の西郷隆盛)が仲裁に乗り出します。

「まぁまぁ……無用な血を流すのは本意にごわはんで……」

という訳で、大目付の体面を保つよう、長州藩には以下の条件を追加しました。

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