一体どういう事情?死んでから藩主になった幕末の苦労人・吉川経幹の生涯をたどる【三】 (6/6ページ)
「よし、このまま粘れば……!」
伝・坂本龍馬作「長州征伐地図」。赤丸で囲んだ部分が経幹たちが守備した小瀬川。
アッと言う間に決着がつくと思われた長州征伐ですが、戦闘が長引く内に各藩は戦意を喪失。元から出兵を拒否する藩も少なからず、7月20日には第14代将軍・徳川家茂(とくがわ いえもち)が亡くなったこともあり、一藩また一藩と撤退していった結果、9月2日には停戦合意によりすべての戦闘が終了しました。
「やった……勝ったぞ!」
「ついに守り抜いたんじゃ!」
四境戦争の勝利によって長州藩がその命脈をつないだ一方、徳川将軍家はその実力が「張子の虎」に過ぎなかったことが知れ渡ってしまい、やがて迎える滅亡を決定的なものとするのでした。
【続く】
※参考文献:
児玉幸多・北島正元 監修『藩史総覧』新人物往来社、1977年
中嶋繁雄『大名の日本地図』文春新書、2003年
大山柏『戊辰戦役史 上下』時事通信社、1968年
笠谷和比古『関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制』講談社学術文庫、1994年
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