一体どういう事情?死んでから藩主になった幕末の苦労人・吉川経幹の生涯をたどる【三】 (5/6ページ)
しかし、世の中こういう状況であるほど興奮してしまう変態は一定数いるもので、例の高杉晋作などは、奇兵隊を率いて大暴れ。卑しくも代々毛利家に仕えてきた譜代の我らが負けてなるものか、と経幹も兵を率いて家老・宍戸備前守親基(ししど びぜんのかみちかもと)と共に芸州口を固めます。
6月13日、幕府軍は紀伊藩(現:和歌山県)をはじめ、彦根藩(現:滋賀県)と高田藩、与板藩(現:新潟県)など3万の軍勢が芸州口に迫り、翌14日早朝から本格的な戦闘に突入。
長州軍は寡兵(かへい。少人数)ながら当時最新鋭だったフランス製ミニエー銃(※)を装備しており、旧式のマスケット銃などを用いていた幕府軍を圧倒。その先鋒を文字通り血祭りに上げ、戦場となった小瀬川が真っ赤に染まったとの事です。
(※)銃身にライフル(螺旋状の溝)を刻んだことで、従来よりも大口径かつ高速高精度の射撃を可能にし、人体への殺傷力が格段に向上しました。
この戦闘で壊滅させられた彦根藩と高田藩は戦線から離脱(後方の警戒を担当していた与板藩は既に退却)、紀州藩のみが踏みとどまって戦闘を継続。6月19日に再び銃撃戦を繰り広げますが、戦線は一進一退の膠着状態となります。