戦国「10大奇襲」秘聞(1)織田信長「桶狭間の戦い」は大ウソ? (1/2ページ)

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織田信長
織田信長

 戦国を舞台にしたNHK大河「麒麟がくる」が好調だ。その仁義なき時代を彩った「奇襲」こそは、現代のビジネスシーンにも通じる「必勝戦法」である。本誌「真説!日本史傑物伝」やテレビの歴史解説などでおなじみの歴史家・河合敦氏と、大の戦国ファンであるお笑い芸人・房野史典氏とともに読み解いてみよう。

 織田信長と今川義元が相まみえた「桶狭間(おけはざま)の戦い」は、4万5000とも2万5000とも言われる今川の大軍に対し、わずか2000〜3000の織田軍が、圧倒的な戦力の差を「奇襲」によって勝利した戦いとして知られる。しかし‥‥。

 近年の研究では、少なくとも奇襲ではなかったというのが定説で、信長は義元に正面から攻撃を仕掛けて勝利したという説が有力なのだと、歴史家の河合敦氏は言う。

「江戸時代に、信長の家臣だった太田牛一(おおたぎゅういち)が書いた『信長公記(しんちょうこうき)』という信長の一代記があり、この記録の中に、桶狭間という山に義元は陣取っていたとあります。比較的信頼できる史料なので、そうだとしたら、義元は信長の動きが確実に見えていた。それでは奇襲になりません。また近年、織田軍は今川軍と同等かそれよりも多かったという説が登場しています。柴田勝家など桶狭間にいない重臣がおり、彼らは別な場所で今川軍と戦っていたというのです」

 我々がこれまで教わってきたことは創作‥‥つまり、全部ウソということになる。

「奇襲説が定着したのは、軍学者・小瀬甫庵(おぜほあん)が、『信長公記』をもとに潤色した『信長記(しんちょうき)』という本を刊行して、その後、明治になって日本陸軍参謀本部が編纂した『日本戦史』に引き継がれ、戦前の教科書などにも載ったことが大きいと言われています」(河合氏)

 戦国好きのお笑い芸人で『超現代語訳 戦国時代』などの著書もある房野史典氏は、

「『信長公記』のとおりだとすると、信長は『勝ち負けは天のみが知ってるんだから、それに頼るっきゃないだろ』みたいな感じで、まったく作戦もなんもないんです。『あっちは鷲津砦と丸根砦を落として疲れてるし、とにかく頑張れよ』って。これって野球で言えば、バッターボックスに立ってベンチを見たら、『サインはホームラン!』って言われてるのと同じですよね。

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