実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【六】 (4/6ページ)
「尼になったンじゃ、俺と寝ないのも仕方ねぇな!これからはお経でも唱えて暮らすがいいぜ!はっはっは……っ!」
この頃、朝廷から芹沢一派の召し捕りを命ぜられた会津藩は、局長の近藤勇(こんどう いさみ)にその粛清を命じますが、記録を見ると試衛館派の中でも土方・永倉・斎藤などは、芹沢たちと一緒になって結構「やらかしていた」ようです。
……が、近藤としてはこれまでの不行跡をすべて「芹沢一派(だけ)のせい」にして粛清し、試衛館派による新選組を実現するべく、虎視眈々とチャンスを狙うのでした。
新見錦が切腹、副長に昇格するも……芹沢一派の破綻が決定的となったのは文久三1863年9月15日、芹沢鴨のブレーンであった局長・新見錦(にいみ にしき)の切腹でした。
新見の生涯については謎が多く、その死についても諸説ありますが、永倉新八『新選組顛末記』によれば、祇園新地の料亭・山緒で遊んでいた新見を試衛館派が取り囲み、数々の悪行(※芹沢のそれも含む)を突きつけた上で、局中法度の第一条
「一、 士道ニ背(そむ)キ間敷(まじき)事」
(※意訳:武士らしくない事をしたら切腹)
に照らして「切腹するか斬首されるか」の二択を迫ったそうです。
要するに「芹沢の身代わりに殺された」訳ですが、トカゲの尻尾切りにされたことを察した新見は、芹沢を恨んで死んでいった事でしょう。