モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指したバボージャブ将軍の戦い【三】 (3/6ページ)

Japaaan

遼寧省遼陽市)会戦以降、冬将軍の到来によって戦線は膠着。塹壕を掘ったその中で寒さに耐えながら戦機を窺う(実態は弾薬が底を尽き、手詰まりとなっていた)日本陸軍を横目に、満蒙出身の騎馬軍団は粛々と任務を遂行します。

「お前らダメだよ、そんなん(装備や工夫)じゃ寒さを凌げる訳がねぇだろ」

「後な、どこで馬術を習ったか知らないが、もっとリラックスした状態で操らなきゃ、人も馬も力を発揮できねぇ。最近流行りのヨーロッパ式は見栄えこそいいが、実戦向きじゃねぇし、何より俺たちアジア人の体格にも適してないんだ……」

塹壕に引き籠もってヒm……もとい中々巡って来ない戦機を窺い、時間を持て余していた日本陸軍に、誰がレクチャーを始めたかはともかく、騎馬民族の戦法や馬術に興味を示したのが、後年「日本騎兵の父」と呼ばれた秋山好古(あきやま よしふる)陸軍少将

バボージャブと直接の面識はなかったでしょうが、日本軍とモンゴル・満洲人は共に強敵ロシアを打倒するべく力を合わせて連携を強化していきました。

明けて光緒三十1905年1月1日、乃木希典(のぎ まれすけ)大将率いる日本軍の本隊が、難攻不落を誇った旅順要塞(りょじゅん。遼寧省大連市)をついに攻略、形勢は日本勝利に傾きます。

旅順の勝報に勢いを得たバボージャブたちは、1月25日~29日の黒溝台(こっこうだい)会戦において、ロシアの大軍に奇襲を受けながらもこれを撃退。そして運命の奉天(ほうてん)会戦では、2月21日から3月10日まで18日間にわたって日露の陸軍主力(ロシア軍約36万人に対して日本軍は約24万人)が激突しました。

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