モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指したバボージャブ将軍の戦い【四】 (4/5ページ)
全モンゴルが泣いた!チンギス=ハーンの直系子孫が大モンゴル国を樹立
その後数年は巡警局長の務めを果たしながら、三男・ジョンジョールジャブ(正珠爾扎布)と四男・サガラジャブ(薩嗄拉扎布)も授かり、公私ともに充実した日々を送っていたバボージャブでしたが、36歳となった宣統三1911年、清国を揺るがす大事件が起こります。
共和制国家の樹立(中国の民主化)を目論む孫文(そん ぶん)が、10月に武昌(ぶしょう。現:湖北省武漢市)で蜂起。後の世に言う辛亥革命(しんがいかくめい)の始まりです。
清国はその鎮圧に乗り出すも、燎原の炎と広がった革命の勢いに抗し得ず、宣統四1912年2月12日に皇帝・愛新覚羅溥儀(アイシンギョロ プーイー。あいしんかくら ふぎ)が退位。かくして清国は滅亡、およそ300年弱の歴史に幕を下ろしました。
「……あれだけの強大さを誇った清国が……滅ぶ時は、あっけないもんだな……」
物心ついてから、ずっと心の奥底で「打倒清国」を唱え続けてきたバボージャブに、ある種の喪失感が生まれたかも知れません。しかし、この歴史の大きな転機は、感傷に浸る時間など与えてはくれません。
辛亥革命に伴い、孫文らの呼びかけに応じて多くの勢力が独立する中、我らがモンゴル族も北モンゴルに独立国家を樹立していたのです。