歴代総理の胆力「羽田孜」(1)64日間の短命政権 (1/2ページ)

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歴代総理の胆力「羽田孜」(1)64日間の短命政権

「あんた、総理になるのもいいが“短命”で終わるぞ。それでもいいのか」

 自民党を結党以来初めて野党に突き落とし、日本新党の細川護熙を総理大臣に戴いた共産党を除く野党8党派による非自民連立政権。だが、1年足らずで細川がスキャンダルによって失脚、その後釜に担ぎ上げられたのが、新生党党首の羽田孜であった。

 羽田は小沢一郎らと自民党竹下派を割り、新生党として非自民連立政権づくりに汗をかいた。細川が失脚する直前には、新党さきがけが8党派を牽引する小沢の“独善性”にイヤ気がさして離脱、社会党の離脱もまた「時間の問題」とされていた。

 そうした中で、政局勘にたけた小沢は、細川が失脚する前にすでにこの非自民政権の行方、すなわち崩壊を読んでいた。しかし、とにもかくにも細川の「次」を決めなければならない。冒頭の言葉は、そうした状況下で羽田を前に、小沢が発したそれである。小沢はすでに、自民党が新党さきがけ、社会党と図って政権奪還に動いていることを知っていたのだった。

 小沢の言葉に、羽田は言った。

「(短命でも)かまわない。やってみる。よろしく頼む」

 かくて、羽田連立内閣が組織された。しかし、小沢の言葉通り、この政権は「超短命」で終わった。政権の“寿命”は、かの69日間だった宇野宗佑政権より短い64日間というものであった。

 羽田という政治家は、自民党竹下派離脱直前には「ミスター政治改革」との異名があったように、カネのかかる政治を“諸悪の根源”として斬って捨てていた。竹下派時代、小沢と並んで同派最高幹部だった金丸信(元副総裁)が、「平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山(静六)」と以後の政治状況いかんでのトップリーダーとなる“資質”をこう指摘していたものだった。

 これに対し、羽田はこう言っていた。

「私のことを総理・総裁になどと言われるのはありがたいが、本当にやりたいのは衆院議長なんだ。与野党が信頼関係を持って真に話し合いのできる国会、すなわち国会改革をやりたいのだ。それは政治改革と同一線上にあるものだと思っている」

 また、筆者が、羽田が竹下派を離脱する直前にしたインタビューでは、こうも言っていた。

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