伊達政宗と繰り広げた骨肉の争い!戦国時代の女城主・阿南姫の生涯【4/4】 (3/5ページ)

Japaaan

岩城親隆)の岩城家は佐竹と連合してなお抗戦の姿勢を崩しておらず、我らもこれに合力(ごうりき)致します!」

※当時、岩城親隆は重病に倒れ、家督はその嫡男・岩城常隆(つねたか)が継いでいました。

これを聞いた政宗は「しょせん女子(おなご)がいっときの感情で意固地になっているだけのこと……やむを得まい、軽くもみ潰してやろう」と須賀川城を攻め立てます。

その攻勢に恐れをなした保土原左近はあっさりと伊達に寝返って城攻めの先鋒となり、勝負はすぐに決するかと思われました……が。

「もうかれこれ……四月(よつき)も経つぞ……!」

須賀川城を攻めあぐねた伊達勢(イメージ)。

須賀川城の士気は旺盛、また兵糧も十分な蓄えがあったため、籠城戦は4ヶ月以上の長きにわたって繰り広げられたのでした。

「伊達政宗と繰り広げた骨肉の争い!戦国時代の女城主・阿南姫の生涯【4/4】」のページです。デイリーニュースオンラインは、阿南姫女城主伊達政宗戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る