伊達政宗と繰り広げた骨肉の争い!戦国時代の女城主・阿南姫の生涯【4/4】 (4/5ページ)
「よいか!敵は城主が女子と侮っておるが、隙を衝けば男子(おのこ)も女子も関係なく討ち取れる!常山の蛇(じょうざん※)が如く柔軟に応ずれば、いかな大軍とてやがて打ち崩せようぞ!」
(※:常山に棲む蛇は、敵が頭を打とうとすれば尾を繰り出して敵の背後を攻撃し、尾を打とうとすれば頭で、真ん中を打とうとすれば頭と尾が緊密に連携して敵を倒したという兵法書『孫子(そんし)』の故事から、陣形に隙がない様子を表す)
阿南姫の叱咤激励にますます昂揚。岩城・佐竹の援軍とも巧みに連携して勇猛果敢な戦さぶりを見せた須賀川城兵ですが、攻めあぐねた政宗は猛将・浜尾豊前守宗康(はまお ぶぜんのかみ むねやす)を調略します。
「……おのれ、豊前め……!」
宗康の寝返りが決定打となって天正十七1589年10月26日、ついに須賀川城は陥落。阿南姫たちは捕らわれの身となってしまいました。
意地でも政宗の世話にはならぬ!阿南姫の晩年「くっ……殺せ!」
政宗の面前に引き出された阿南姫は、なおも抵抗の意思を示しましたが、もはやその術もなく、実母・久保姫(くぼひめ)の住む杉目城(すぎのめ。現:福島県福島市)に身柄を移され、手厚くもてなされます。
「おぉ、姫や……!」
阿南姫が二階堂盛義に嫁いで以来、数十年ぶりの再会となりましたが、あくまでも伊達家の庇護下に置かれることをよしとせず、甥の岩城常隆を頼って磐前郡(現:福島県いわき市)へ移住。