伊達政宗と繰り広げた骨肉の争い!戦国時代の女城主・阿南姫の生涯【4/4】 (1/5ページ)

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伊達政宗と繰り広げた骨肉の争い!戦国時代の女城主・阿南姫の生涯【4/4】

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伊達政宗と繰り広げた骨肉の争い!戦国時代の女城主・阿南姫の生涯【3/4】

戦国時代、伊達晴宗(だて はるむね)の長女・阿南姫(おなみひめ)は、夫・二階堂盛義(にかいどう もりよし)亡き後、女城主として須賀川(すかがわ。現:福島県須賀川市)の地を治めていました。

※夫の菩提を弔うため、出家して大乗院(だいじょういん)と称していますが、便宜上「阿南姫」で統一します。

そんな天正十七1589年6月5日、摺上原の合戦に敗れた主君・蘆名義広(あしな よしひろ。佐竹義重の次男で阿南姫の甥)が所領を捨てて逃亡。蘆名を滅ぼした伊達政宗(まさむね。晴宗の孫で、阿南姫の甥)の大軍が須賀川城に迫ります。

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