長嶋茂雄、野村克也、落合博満…甲子園に行けなかった「プロ野球スーパースター列伝」 (3/6ページ)

日刊大衆

水原さんもその後、東映の監督に就任し、張本の打撃に助けられています」(前同)

 日本の敗戦がなければ、3000本安打男は誕生しなかったかもしれない。

■3度の三冠王を達成した落合博満

 日本プロ野球史上唯一となる3度の三冠王を達成した落合博満も、甲子園の土を踏めなかった。「プロ入りするまでの彼の野球人生は、まさに波乱万丈。秋田工業の3年間、野球部への入退部を7回も繰り返したという伝説があります。落合は新聞に県大会の組み合わせ表が掲載されるまで、練習に出なかったそうです」(ベテラン記者)

 3年生の夏は1回戦で敗退したが、東洋大にスポーツ推薦で入学した。「しかし、ここでも運動部独特の上下関係に悩んで早々に退部。一時はプロボウラーを本気で目指してボウリング場に通い詰めていましたが、社会人野球の東芝府中から声がかかり野球界に復帰しました」(前同)

 社会人野球で実績を積み、78年のドラフトでロッテに3位指名されるが、こんな逸話がある。「当時、実は巨人も落合を狙っていたんです。ドラフト前日に起きた“江川空白の1日事件”で、巨人はドラフトをボイコット。落合の巨人入りは幻に終わりましたが、巨人入りしていたら、球史が大きく変わったかもしれません」(同)

 日本人初のメジャーリーガー、野茂英雄も甲子園とは縁遠かった。「大阪府立成城工業では、2年生からエースとなり、85年の大阪府大会2回戦の生野高校との試合で完全試合を達成するなど、大器の片鱗を見せていましたが、チームは低迷。3年時のベスト16が最高成績でした。その後、ノンプロの新日鐵堺に入り、その才能を開花させ、史上初の8球団から指名されるまでに成長。

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