長嶋茂雄、野村克也、落合博満…甲子園に行けなかった「プロ野球スーパースター列伝」 (4/6ページ)
その後、日本人メジャーリーガーのパイオニアとなったことは周知の通りです」(全国紙運動部記者)
■菅野智之は甲子園常連校出身だが
現役で大活躍中の選手の中にも、甲子園に出場できなかった選手がいる。東海大相模という甲子園の常連校出身でありながら、甲子園への出場経験がないのが菅野智之だ。
「軟式野球出身の菅野は入学当初、目立った選手ではありませんでした。頭角を現すのは2年生の秋、エースナンバー1をつけるようになってから。したがって、2年生の春に出場したセンバツではベンチ入りできず、甲子園の土を踏めていないんです」(専門誌記者)
菅野が最も甲子園に近づいたのは、3年生の夏だ。「県大会の決勝まで進みましたが、10-8と勝ち越されて力尽きました。このとき、話題になったのが準決勝の横浜戦で、菅野が演じた振り逃げ3ラン。4回二死一、三塁で菅野がショートバウンドを空振りした際、捕手がタッチせずにベンチに戻ったのを見て、相模ベンチが走れ、と叫んで3点入っています。ただ、この幸運を甲子園につなげることはできませんでした」(前同)
そんな菅野が6億5000万円(推定)とプロ野球界最高年俸選手になったのだから、野球は面白い。
次に侍ジャパンの不動の4番に成長した鈴木誠也だ。二松学舎高校時代は、MAX148キロの直球を武器にエースとして活躍した。
「最後の夏の東東京大会では、決勝戦で成立高校に6-8で敗れて、甲子園出場を逃しました。しかし、高校通算43本塁打の非凡なバッティングセンスを買われ、広島からドラフト2位で指名を受けてプロ入り。